後世に伝えたいこと


佐々木洋子さん

新緑の季節、ご主人の船「金勢丸」の前で

 2011年3月11日、私は大槌町で被災を受けました。今まで経験したこともない大きい揺れに直観的にすぐ津波が来ると思いました。私の主人は漁師なので日ごろから大きな地震がおきたら津波と思えと教えられていました。
 たまたま外出先で、同じ赤浜の人に一緒に赤浜に帰りましょうと声をかけられ車に乗り赤浜に戻りました。
家はすごい有様でした。家の前には自家用車があり一瞬この車で逃げようかと思いましたが、すぐに北海道奥尻島の津波の事を思い出しました。奥尻では海岸に沿って、車で逃げた方が津波にのみこまれてしまい、尊い命を落としたのを思い出し、すぐさま足で裏山の高台に避難しました。
 その後、避難生活を送り、その中で一番分かった事は、今まで飽食で分からなかったけれど食べる物があるという事が本当はすごくありがたい事だと分かりました。私は戦後の食糧難を経験しており、一日一個もらったおにぎりを半分食べ半分は次のおにぎりをもらうまで残していました。おにぎり半分でもあれば安心して人にもやしくできたような気がします。
 そして今回の震災では、全国からの支援、自衛隊の方々、ボランティアの皆様のおかげで家は流されてしまいましたが、頑張ろうという気持ちになりました。日本の自衛隊、ボランティアは世界一と思って、感謝しています。
 今は赤浜の仮設住宅に移り、心に少し余裕ができ、今生きてることに感謝をし後世に津波の怖さを伝えていかなければと思っています。でも、海は私たち漁師にとって、生きる糧であって、共存していかなければなりません。歴史からみても三陸は津波が繰り返しており、大きい地震が来たらすぐさま高台に逃げること、欲張りすぎず高台に逃げたら家に戻らないことを親から子へ子から孫へと伝えていくことが大切だと思っています。
 今まで支援してくださった皆様に恩返しするためにも、一人一人が自立し、本当の意味で復興するように一歩ずつ前進し夢を持ち、歩みたいと思っています。

カーネーション

2012年5月 佐々木 洋子

 

 

 

 

 

コメントを残す

* RSS FEED

404