『満開の桜に明日を疑わず』


岡本隆子さんとその仲​間たち

岡本隆子(左から2番目)さんとその仲間たち

 震災からまもなく一年。あの日は「漁港をきれいにする会」主催の学習会に出席するため、出かけようと庭にいました。
その時です。今まで経験したことのない大きな揺れ、思わず地面にはいつくばってしまいました。目の前の庭には地割れが起こり、地球が割れるのではないかと恐怖でした。揺れのおさまりを待ち、家の中、外を見回りました。どうしようもない有様でした。「津波は来る」と思い、近所の人達に避難を呼びかけながら高台に避難しました。高台から我家が流されて行くのを震えながら見た光景は、今でもはっきり覚えています。

 不安の中、避難所生活が始まりました。当日の夜は、雪が降り、その後も3月下旬までは、雪の降る寒い日が続きました。震災のショックと寒さで数日間の事はよく覚えていません。当時の手帳を見ると、空欄が多く、やっと3月15日に、血圧測定の記録、17日には、薬の処方の記録が書かれています。避難所に医療団が支援に来てくれていたのです。毎日、薬を服用しなければいけなかったので、ホッとしたことを覚えています。その後、数日間は高い数値の血圧の記録のみです。
 24日から遺体安置所回りの記録。つらい毎日でした。26日からは、知人、友人、親戚の訪問を受けた記録があります。そして、4月3日、“電気つく”の記録。体育館に歓声がおこりました。復旧の一歩でした。ウグイスの初鳴きを聞いたのが8日。
夫との悲しい対面は11日。ちょうど震災1ヶ月目でした。自衛隊の皆さん、地域の皆さんの懸命な捜索のおかげでした。感謝の気持ちをこめて、和やかに見送ることができました。
ありがとうございます。

 その後は手帳の記録も多くなり、心のおちつきを取り戻すことができたことがわかります。4ヶ月間の避難所暮らし、又、仮設住宅に移ってからも、全国の皆さんからの物心のご支援、本当にありがとうございます。ボランティアの皆さんの献身的な活動支援、感謝しても感謝しきれません。「私に出来るだろうか」と自問自答しています。今、私が出来ることは、笑顔で希望を持って毎日を過ごすこと。このことが全国の皆さんへの恩返しになることだた勝手に思っています。
現在、赤浜から離れた山里の仮設住宅で暮らしています。赤浜から10世帯が入居し、毎日、励ましあいながら元気に暮らしています。

 去年5月の新聞に次のような歌が掲載されていました。
「満開の桜に明日を疑わず」桜
あの時の私の気持ちも同じでした。そして、その気持ちは今でも変わりません。一歩一歩、私なりに感謝の気持ちを持ちながら、明日に向かって進んで行くつもりです。
ご支援、本当にありがとうございます。

岡本 隆子

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