返事できず、すみません

中村史佳さん

 あの日、私たちは、大きな地震の後、校庭にひなんしていました。海を見ていたおばさんの「津波が来たー!!」とさけぶ声をきいて、ふりむくと、真っ黒い波が、おしよせて校庭へはうように向かってきました。そしてとうとう私たちのいるところまで上がってきました。私たちは必死で裏山へとつながる坂をかけ上がりました。

 とってもこわくて、みんなで泣いていました。しばらくして、お父さんに会うことができましたが、お父さんはすぐに他の人を助けにいってしまいました。

 その晩は、先生たちと、民家に泊めてもらいました。ローソクの光しかないのに、時々、大きな地震があって、こわくてなかなかねむれませんでした。

 次の日の朝、先生が「ちょっと外の空気を吸ってこよう」と言ったので、みんなで外に出ました。おどろきました。

 ガレキで道路はふさがれ、大きなトラックは横だおし。今まで見てきた風景は、ありませんでした。

 それからお父さんの所につれていってもらって、おばあちゃんと会うことができました。3日目には、お母さんが大槌の町から帰ってきました。でも、おじいちゃんと、まーくん(おじさん)は、帰ってきませんでした。

 その後、赤浜小学校の体育館のひなん所で、4カ月の間、地域のみなさんと暮らしました。

 今まで話したことのないおじさんやおばさんとも、話ができました。みんなとってもやさしくしてくれました。はじめは食べ物も着る物も、ふとんも電気も、お風呂も何もかもが不自由でしたが、地域の人たちが、みんな力を合わせてがんばって、警察や自衛隊の人たちが助けてくれて、たくさんの方々の援助があってだんだん生活できるようになっていきました。そして、やっと7月末に仮設住宅に、移ることができました。

 学校も仮設で、4つの小学校が、いっしょになりました。人数が多くなって、また一味ちがう体験ができています。

 早くマイホームがほしい・・・ヒマと自由はちがう・・・

 私がつぶやいた言葉が新聞にのってから、たくさんの方から、はげましのお手紙やおくりものが届いてびっくりでした。知らない人たちなのにこんなに私たちのことを心配してくれるんだと、とってもうれしかったです。でも、なかなかお返事が書けなくてごめんなさい。

 ホームページができることをきいたので、私も、のっけてもらうことにしました!!

 “みなさん やさしさを ありがとうございます”

 あれから6cm背がのびました!

中村史佳

なかむら・ふみか
漫画家志望の12歳。赤浜小学校の校舎が被災し、5キロ離れた合同仮設校舎にバス通い。

One Response to “返事できず、すみません”

  1. 河原 英仁 より:

    大阪の者です。
    あの新聞の記事を切り抜いてとってあります。
    冷凍たこ焼きは食べられてますか?
    いつか大阪で本場のたこ焼きを食べてくださいね。

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